波瀾

ブログを書くためのブログ

上手くできなかった時のこと

ツイッターを毎日していると思考がツイートとして文章化されるのに困っていましたが、ブログを書き始めると気付けば頭が記事を作り始めて困ります。どうしてこんなにも切り替えを上手くできないのでしょうか。

そして今、久しぶりに自分が上手くできない現状と向き合っています。

上手くできなくて落ち込んでいる時には、自分の気持ちのコントロールすら上手くできなかったりします。上手くできなかった時こそフォローが必要なのに、強がってみたり、素直になれなかったりして、その状況で求められる態度・行動をとることができない。

上手くできないことに関して、「馴れない事をしたのだから仕方がない。」「早めに失敗して上手くできないことを認識できたのだから、繰り返し練習して次から上手くできるようになればいい。」「そもそも、上手くできる必要なんてない。上手くいかせようと頑張る姿勢が大事なんだ。」をはじめとして、ストレスを回避する構成を考え、正当化することはいくらでもできます。しかし、どんなに正当化してみても、上手くできなかった現実は自分の中に突っかかりが残っていて、落ち込んだりするのが人の心ではないでしょうか。そんな時は泣くとスッキリします。泣きたい時に泣くのも上手くできなくて困ったりします。「次から上手くできるように」と、ふいに立ち上がって練習し始めたりもします。

逆に、上手くできない人と関わった時、落ち着いて優しくフォローしてあげることができれば理想的だと考えますが、「なぜこんな事ができないのか。」「できないならするな。」とイライラして怒りながら文句を言いたくなるのも人の心でしょう。

「怒らずに優しくフォローしてあげたいのに、怒ってしまう。」「落ち込んでいないで、ミスを取り戻したいのに動き出せない。」どちらも仕方がないことですし、それがとても人間らしくて、生きていることを実感できると思った次第です。

しかし、いつかは「上手くできなくてもいいんだよ。」「いいとこ見せようとしなくてもいいんだよ。」と、私がしてもらったように声をかけて楽にしてあげたいのです。

この記事で言いたかったことは「落ち着きを失って、感情のコントロールを上手くいかなくなることは悪いことではないけど、そうなったらどうしようもないから、とりあえず落ち着こう」ということでしょうか。

落ち着いていないので上手くまとめられていないように思いますので、これで終わります。

この記事がより多くの人の目に触れ、私の日常に少しでも波瀾が訪れることを祈って終わります。