波瀾

ブログを書くためのブログ

「自分で考えること」がそんなに大事か

今日もブログを書きます。今まで通り、ツイッターに連続ツイートとして投稿してもいいのですが、一つの記事としてまとめることを今は楽しんでみようと思います。

普段から仕事の合間にはてなの記事を読んでいる私なので、昨日、記事を二本書いてみて、「どこで改行するのが美しいか。」「どこでスペースを入れるか。」について考えた後では少し変化がありました。読む側に加えて書く側の視点を手に入れたというのでしょうか。それを踏まえて書くのがこのブログです。

本題に入ります。タイトルの通り、「自分で考えることはそんなに大事だろうか」とたった今、疑問を持ちました。現代、少なくとも私のいる環境では「自分で考えて出した答えだからこそ正しい。」「自分で考えることが大事だ。」「他人に流されているようではダメだ。」という流れがあると私は認識しています。私自身、「自分で考えることに価値があるんだ。」「もっと自分で考えてみなよ。」と考えてきました。

しかし、そのこと自体が他人に流されていることなのではないか、と。「自分で考えなければならない呪いにでもかかっていたのではないか」と。「もっと他人に流されていきてもいいのではないだろうか」と。

そもそも「他人に流されること」と「自分で考えること」の境界線はハッキリしませんが、問題とされていたのは「その人自身が幸せではないと感じていること」でしょう。幸せでさえあれば、自分で考えているか、他人に流されているかは問題ではないでしょう。

そうすると、「そもそも幸せであることを誰もが望んでいるのか」なんて疑問も浮かんできますが、キリがないのでそこは置いておいて。自分で苦しめる「言葉の呪い」からは抜け出しておきたいよね、という内容の記事でした。

この記事がより多くの人の目に触れ、私の日常に少しでも波瀾が訪れることを祈って終わります。