波瀾

ブログを書くためのブログ

裏腹なこと(1)

まだブログを書きたいので書きます。

ブログでは、文章の配置(どこで改行するか、どこで空白をあけるか)が気になって大きな違和感を抱えていましたが、どうもそんなことは気にしなくていいようです。

このブログは近況を述べながら私が書きたいことを書くブログですので、読むのが面倒だと思い次第、最後までスライドしてみてください。このブログで言いたかったことをまとめておくつもりです。

さっそくですが内容に入ります。

ツイッターがないと生きていけない」なんて言っていた私も、ツイッターへの投稿が減り、たまにInstagramへ長文メインで写真を投稿するようになりました。Instagramは凄いのです。文字制限がとても緩い。何文字までなのか数えたことはありませんが、文字数に収めようと意識しなくとも、書くことが浮かばなくなるまで書かせてくれる。きっと私は使い方を間違えています。文章を全部読んでくれている人はいないでしょう。

また、昨年末から、Facebookも始めています。私の目にする情報からは「Facebookリア充が自慢しあう建前のSNSだから疲れるものだ」という認識が作り上げられていたことから、「絶対、Facebookなんてしない」といた私ですが、始めています。中学や高校に通っていた頃の友人達が生きていることを確認できて新鮮です。あれだけ拒絶していたのに。
「ずっと」「絶対」なんてないのだと、強く感じる年でした。特に人の心模様については。

「ずっと君のことが好き」
「絶対結婚しようね」
「必ず幸せにするね」

私は何人に向けてこの言葉を口にし、何人からこの言葉を受けてきたのだろう、と。ただ「今、私はあなたのことが好きです」と伝えていたにすぎません。言葉をそのままに受け取ってしまうことの悲しさを感じます。しかし、言葉を発しているその時は、確かにそのように思っているようです。発言に対し、その後の気持ちが変わっても責めることはできない。いえ、「できない」のではなく「しても虚しいだけ」でした。

私は一時期、「過去の恋愛で抱えた不満」について話を聞いてきました。

「話を聞いてくれない」
「何日も連絡をくれなかった後、『仕事が忙しくて連絡できなかった』と笑って誤魔化す」
「はじめは優しかったのに時間が経つにつれて雑に扱われるようになった」
「何を話ても決めつける」
「好きでいてもらって当然だと思っている」
「好きでいてもらう努力が見えなかった」
「口だけ 行動しない」
「やってもらって当然だと思っている」
「自分の事しか考えてない」

個々の話に細かな差はありましたが、一言で言えば「誠実でなかったこと」でした。であれば、「誠実でいること」が求められているのでしょう。誠実でいることとは、上記のこととは逆のこと。

「決めつけたりせず、丁寧に話を聞くこと」
「連絡をすること」
「不安にさせないこと 」
「嘘をつかないこと」
「口先だけで終わらせないこと」
「相手のことよくみて、相手のことを考えること」

誠実でいることを続けれられる人になることが、自分の周りから人がいなくなるのを避けるために、また自分の心が楽でいるために、とても重要な要素でした。

少し疲れてきたので、この続きはまた別の記事で書くことにします。

こうやって、ブログ、ツイッターInstagramに文章を投稿し続けているあたりから、自分は文章を書くことが好きなのだと感じます。「自分のことを一番わかってるのは自分だ」なんていいますが、自分がどんなものを好きでどんな人間なのか、口でいうほどわかっていないものではないでしょうか。
「絶対」の話と通じますが、決めつけて突き放したりせず、流されて経験して見るのがいいのだととても思います。流されながら、全部楽しんでいきましょう。

最後に読み返してみたところ、このブログで言いたかったことは以下のようなことです。
・絶対は絶対じゃない
・言葉は言葉通りの意味ではない
・人と誠実に向き合うことで自分も楽に生きられる
・自分のことなんてわかってない
・流されることを楽しもう

この記事がより多くの人の目に触れ、私の日常に少しでも波瀾が訪れることを祈って終わります。